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日々の暮らしの中での出会いや気づきを
徒然に書き留めています
第一則。
夕方、仕事を慌ただしく切り上げて、いけばなのお稽古へ。
この数年、年1~2回位しか通えなかったので、
4月からは心機一転、基本をしっかり身につけるつもりです。
今回は、投入れの基礎を教えていただきました。
<花材>
・ユーカリ
・カンパニュラ
・ソリダスター
・・・
今月から、先生が、『草月五十則』をご紹介して下さることになりました。
『草月五十則』
[入門]第一則
花が美しいからといって、いけばなのどれもが、美しいとは限らない
美しい花をいければ、そのいけばなは美しいに決まっていると思うのは普通です。
しかし、美しい花を使っても、美しいいけばなができるとは限らないということです。
花を自然の中から切りとって来て、野山にあるときより美しくいけられないなら、
いけばなとしての価値はありません。
[あなたはどう思いますか?]
・・・・・・
最後に記された、
[あなたはどう思いますか?]
という先生からの問い。
・・・・・
私は、この問いに、ドキっとしてしまいました。
第一則は、花を扱う上での心構えが問われているように感じたからです。
究極的に述べるならば、自然の野山に咲く花ほど美しいものはないのではないでしょうか。
そのため、私は、自然の美である[野山に咲く花]と、人がいける[花]は、
比べようがないものだと思います。
では、[美しいいけばな]とは?
私なりの解釈ですが、[いけばな]という日本の伝統芸術として[美]を追求するということは、
自然の花のもつ美しさに、人の「心」や「思い」、「熱情」などを込めることにより
その美をさらに昇華させる可能性を見出すということなのではないでしょうか。
花と向き合い、その美しさをさらに引き立てるために、心を注入すること。
たとえ一輪の花でも、ぞんざいに扱わず、いつの日か、
その作品を通じて、自分なりの心が表現できるようになりたいものです。
桃の節句(3月茶の湯)
3月の茶の湯稽古。
ちょうど桃の節句だったので、しつらえも、
おひなさまにちなんだものばかり。
華やかに彩られた茶室に、心も躍ります。
先生が大切にされているお道具たち。
一年に一度しか見ることのできない贅沢な瞬間。
ぼんぼりを模した蓋置き。
香合は、横笛。
そして、かわいらしいお菓子。
奥の菓子入れは、「馬上杯」といって、馬に乗る貴人に
ふるまうための器だったとか。
茶の湯は厳格なしきたりや作法の下で、「かたくるしい」と思われがちです。
しかし、私は、茶室ほど心が自由に解き放たれる空間はないのでは、とさえ
感じる瞬間があります。
互いを敬い、心を尽くすという姿勢から、おもてなしの可能性は、無限に広がります。
茶室には、たくさんの驚きや喜びが隠れており、それらに気づく時、
心豊かなコミュニケーションが生まれます。
それこそが、日本文化の懐の深さであり、私たちのふとした日常にも
根付いているものではないでしょうか。
本番。
冬晴れの日、ずっとお点前を特訓してきた
お茶会の本番当日がやってきました。
お茶席のある鎌倉の鶴岡八幡宮に到着。
早朝の八幡様は、まだ人影もまばら。
澄み渡った青空の八幡様に、お茶会の成功を願いつつ
履きなれない草履でお茶席に向かいます。

先生のお席は、安房席。
たくさんのお客様にお越しいただき、お席は、朝9時から15時頃まで、
全部で10席設けられ、大盛況でした。
私は、そのうち、2席でお点前をさせていただきました。
内心ドキドキの緊張感の中、着慣れない窮屈な着物で
粗相をしないかハラハラしながらも、
平静を装いながら
「一服差し上げます」
と言って、お点前を始めた途端、不思議と気持ちがスーッと落ち着いて、
なんとか無事に務めを果たすことができました。
「無心」となるまでの境地には辿り着けませんが、
キリっと引き締まる緊張感と共に、自分も楽しみながら、
お茶を点てることができたように思います。
私の人生において、貴重な貴重な経験となりました。
・・・
しかし!
着慣れない着物での立居振舞で、日頃使っていない筋肉を酷使したのか
夕方には膝がガクガク、翌日には、歩行も困難になるほどの有り様・・・。
洋服と着物では、使う筋肉が異なることを、身を持って痛感しました。






